7月11日(木)よりアートフロントギャラリーにて、日本初個展「ダンサーと爆発」を開催するニキータ・カダンにオンラインインタビューを行いました。ニキータ・カダン(Nikita Kadan)は、1982年 ウクライナ、キーウ生まれ。2007年に国立美術アカデミー(キーウ)を卒業。ペインティング、インスタレーションなど様々なジャンルで制作し、PinchukArtCentre賞(2011)、カジミール・マレーヴィチ賞(2016)などを受賞。ウクライナの現代アートを牽引するアーティストです。
AFG : 今回、日本では初めての展示となりますね。まずは、カダンさんのことを日本のみなさんに紹介したいと思います。アートとの出会いや、アーティストを志したきっかけを教えてください。
ニキータ・カダン:私は人生のかなり早い時期にアーティストを志すことを決めました。1990年代、ポストソヴィエト時代の世界は、貧しく退屈なものでした。私はその狭い世界から逃げ出したいと願いました。その世界では、なにか意味のある興味深い出来事に出会うチャンスはほとんどないと感じたのです。それに私は、月並みかもしれませんが、絵を描くことが好きでした。こうして私は、私の周囲の世界からの脱走の手段として芸術を選んだのです。それが、私がアーティストを志した主な理由だと思います。
14、15歳の頃にはすでに私の心は決まっていました。その後、美術学校に入り、美術大学に入学しました。私はあたかも自分の背後にある橋を燃やすかのように、美術以外のことに携わるチャンスを意識的に手放しました。
私はポストソヴィエトの伝統的な美術教育を受けましたが、その後、2014年にアーティスト・グループ「R.E.P(革命的実験空間)」に加わり、アクションやパフォーマンスを行いました。それはすでに現代美術でした。
AFG : アーティストを志したことと、あなたが8歳だった1991年にソ連が崩壊し、ウクライナが独立した出来事など、社会の変革の中で育った経験は関係しているのですね。
カダン:そう思います。先ほどもお話ししたように、ソ連崩壊後の最初の混乱期において、ウクライナにおける資本主義導入は、貧困と私たちの生活空間の破壊をもたらしました。通りを歩いていると、ゴミが散乱し、家々の漆喰は剥がれ、まるでこの世界が病気にかかり、ばらばらになっていくような気がしました。そして、これらすべてから逃げたいという強い思いが沸き起こったのです。
アーティストになって、まったく違う運命を作り出したいと願ったのです。世界で実際に何が起こっているのかを理解するには、私は当時若すぎたのかもしれません。でも、もし感覚のレベルで言うならば、すべてから逃げたい、アートによって逃走したいと感じたのです。
AFG : カダンさんの作品に歴史や美術史が密接に関係している作品が多い点も、そういった背景が影響しているように感じられますね。今回は、日本での初展示となりますが、日本での展示という点で意識したことはありますか?
カダン:私は、ウクライナ人のアーティストであるダヴィド・ブルリュークとヴィクトル・パリモフが企画した未来派の作家達の展覧会(注:1920年「日本に於ける最初のロシア画展覧会」)のような、20世紀の日本の美術史のどちらかというと個別的で特殊なテーマに関心を持ってきました。この展覧会は日本未来派協会に影響を与え、それを通じて、その後の日本における前衛芸術、モダニズムの歴史にも影響を及ぼしました。
20世紀に海外で活躍した日本人アーティストにも関心を持っています。たとえば、河原温や、ポーランドで生涯を通じて活動した芸術家である鴨治晃次です。最近になってようやく、1970年代に日本で活躍したコンセプチュアル・アーティストについても少し知ることができました。
美術以外の私の日本についての知識は、どちらかというと「一般的」なものです。安部公房や三島由紀夫は、ウクライナでも多くの人が読み、私も美大にいた頃に読みました。小津安二郎は私の好きな監督の一人です。新藤兼人監督の映画にも一時期とても惹かれました。また、日本の大衆文化では、多くの「西洋的な」ジャンルが、より独創的で創造的なものへと変容していると思います。ウクライナの多くの若者と同様に、日本の大衆文化は私の視野にも入っています。
私は主に日本の20世紀文化と現代文化についてお話ししましたが、このように現代日本文化についての私の知識は限られていて、日本文化の「両極」に集中しており、「中間」を見逃していると思います。私の日本についての知識は特殊なものであるか、一般的すぎるかのどちらかなのです。
日本で展示するということは、もちろん強く意識しています。どんな空間、どんな場所で展示するかは大事な要素です。たとえば、アートフロントギャラリーでは、ギャラリーの外側の通りを行き交う人々や車の流れがありますね。こうした要素を意識しながら展示内容や方法について検討しています。
AFG:では、今回のアートフロントギャラリーの個展について教えてください。
カダン:Room1の一面には《ダンサーと爆発》のドローイングを展示予定です。
エドガー・ドガの《ロシアの踊り子たち》という作品は、題名がつけられ彼の有名な作品として世界中に認知された後に、ウクライナ人を描いた絵であることが判明しました。今回制作した新作ドローイングの《ダンサーと爆発》はこのドガの絵を変奏したドローイングで構成されています。
私は、幼い頃、実家で、ドガの描いた踊り子のモノクロの複製画を見て以来、それを覚えていました。ですから、このドガの作品が、ウクライナの文化遺産の脱植民地化についての議論の中心になったとき、幼い頃の記憶が影のように蘇ったのです。ドガの作品やその部分を自由に描き直すにあたって、私は、子供の頃に描いていたような「爆発」を描き入れました。クレヨンを紙から離さずに描いたらせん状の線の集まりとして。こうして、ウクライナの《ロシアの踊り子たち》は、まるで砲撃の中にいるかのように踊り続けるのです。
AFG:今回の展示には戦争に関する作品を多く展示しますね。
カダン:本展は、近距離で見た戦争の内部にある生活のいくつかの特徴についての展覧会です。大惨事の素材から生み出された「新しい日常」や、起きていることに対する詩的な認識を表現しています。また、この展覧会は、「戦争を歴史化する」芸術の力、すなわち、戦争をプロパガンダに毒されていない歴史的な語りとして物語り、戦争を過去のものとして捉え、現在も続いている戦争を歴史的事実とみなすことによって、戦争から明日を守ろうとする芸術の力についての展覧会でもあります。
展示は、新作2点を含む近年の作品で構成されています。そのどれもが「平和の中に溶けこんだ戦争」という要素を含んでいます。すべての作品がなんらかの形で、戦争、日常生活、集団的記憶とのつながりを持っています。より正確に言えば、集団的な「歴史的感情」と関係しているのです。
今回の《ダンサーと爆発》展は、文字通り、大惨事の中で踊ることの可能性についての展覧会だと言えるでしょう。想像力によって距離を置いて世界を見る可能性についての展覧会です。とはいえ現実は、距離を置くことを許そうとはしないのですが…。
AFG: Room2に展示予定の《強度のミュージアム》もとても印象的な作品ですね。
カダン:この作品は、ウクライナ、西部の都市ウジホロドのホテルの2部屋からなる小さなスペースで初めて発表しました。2022年のアーティストインレジデンス「Sorry, no rooms available」で作ったものです。
これは、鎌と斧が固定された2本の「支柱」です。私は「物質的抵抗」、受動的抵抗を念頭に置いていました。この作品はまた、パルチザンの闘争における犠牲の神話を含んでいて、現代の戦争における冷笑的なプラグマティクスの罪に対する一種の「償い」を志向しています。言い換えれば、これは、戦争の現実と個人の倫理的選択との関係についての作品です。
AFG:今回は、新潟で開催される大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレにも参加しますね。十日町の越後妻有里山現代美術館 MonET、そして津南町の辰ノ口集落で発表する作品について教えてください。
カダン:MonETでの展示は、東京の展示より圧縮され、より凝縮され、強烈です。連作《大地の影》を展示し、信濃川河川敷で採取した地元の石に、空爆で破壊された鉄で作られた「旗」を取りつけたオブジェも展示します。
それとは別に、津南町の「東京電力信濃川発電所連絡水槽」に設置する作品《別の場所から来た物》は、旧ソ連の「宇宙的な」公園や、現在の戦争における都市への砲撃と関連しています。東京での展覧会では、私の活動をより多面的に見ることができますが、この展覧会もウクライナの戦時中の現実とも関連しています。
AFG: 7月13日からスタートする大地の芸術祭も楽しみですね。
今も尚、ウクライナに対する軍事侵攻が続く情勢ではありますが、アーティストとして、今後取り組んでいきたいことはありますか?
カダン:ウクライナの状況は、未来への計画を立てることよりも、その可能性そのものを賭けて戦うことを意味しています。作品や展覧会という点では、戦争によって失われた文化遺産や、失われたものの代わりに残るもの、文化が影やこだまとして存在しうるかを扱った作品について考えています。
AFG: また今後、日本で挑戦してみたいことはありますか?
カダン:私は、ブルリュークとパリモフが日本に持ち込んだ未来派の展覧会の歴史に強い関心を持っています。ウクライナでは、この展覧会についてはほとんど知られておらず、むしろ神話として、現実の何かの歪んだ反響として存在しています。私はこれまで美術史の失われたページについてのプロジェクトを行ってきたので、この歴史を喪失の形、手の届かないものへの憧れや悲嘆の形として考えてみたいと思います。 しかし、日本では、それは事実として、現実の一部として存在しています。私は、この歴史に関するウクライナと日本の認識を結びつけるようなプロジェクトを考えています。
AFG :ありがとうございました。今回の展示だけでなく、その先に広がる展望もとても楽しみです。
東京 代官山で7月11日(木)から開催される個展では、トークイベントも開催しますので、ぜひカダンさんの「今」をお聞きください。
アーティストトーク申し込みはこちら
<東京>
ニキータ・カダン個展「ダンサーと爆発」
2024年7月11日(木)~ 8月18日(日)
会場:アートフロントギャラリー
<新潟>
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024
2024年7月13日~11月10日
https://www.echigo-tsumari.jp/art/artist/nikita-kadan
■ニキータ・カダン個展「影・旗・衛星・通路」
会場:越後妻有里山現代美術館 MonET
■ウクライナのアート・フィルムの現在(キュレーターとして参加)
会場:越後妻有里山現代美術館 MonET
■別の場所から来た物
津南町 東京電力信濃川発電所連絡水槽
■シンポジウム「ウクライナの美術・文化の現在」
2024年7月13日 15:00~ 要申し込み
[登壇者]ニキータ・カダン、北川フラム、上田洋子、鴻野わか菜(司会)
会場:越後妻有里山現代美術館 MonET