緊急事態宣言が明けた10月2日、北アルプス国際芸術祭2020-2021が開幕しました。昨年5月末から1年4か月、2度の延期を経ての満を持しての開催への喜びが、開幕式に集った主催者、アーティスト、関係者から静かに伝わってきました。実行委員長である牛越徹氏(大町市長)、名誉実行委員長である阿部守一氏(長野県知事)は、それぞれのあいさつで、コロナ禍のなかで万全の安全対策を期しての芸術祭開催への決意と、アートの力による地域の絆の再生への期待を語りました。
水・木・土・空と感応する作品たち
第1回が初夏の清冽な北アルプスを背景としていたのに対し、今回は、まさに紅葉が始まろうとする初秋から晩秋にかけて刻々と移り行く北アルプスの表情豊かな自然に彩られた51日間の開催となります。前回同様、大町市全域を5つのエリアに分け、11の国と地域から36組のアーティストが「水(源流)、木(自然・森)、土(扇状地)、空(アルプス・東山に囲まれた高い空)」をコンセプトに多様な作品を展開しています。
前回も参加したフィンランドのマーリア・ヴィルッカラは、地震で流された寺の鐘が今も聞こえてくるという中綱湖の伝説とそこを通る「塩の道」にインスピレーションを得た作品を展開。水と塩をテーマとした2つのコテージを訪ね、金色の舟が浮かぶ湖の畔を散策し、鐘の音に耳を澄ましながら、過去や未来を想い、自然を感じる時間を創出します。
オーストラリアのトム・ミュラーは、高瀬川の上流から流されたといわれる巨大な仙人岩に、川から汲み上げた水で人工の滝をつくり、霧を発生させ、仙人岩の精神を呼び起こします。
磯辺行久は、エコロジカル・プランニングの手法で、ロックフィルダムの建設による土地の改変が自然環境に与えた変化を検証し、地面から掘り起こした石を使って150×300メートルの地上絵で七倉ダムの風の流れをダイナミックに視覚化しました。
台湾のヨウ・ウェンフーは、里山の暮らしが色濃く残るハ坂地区の休耕田に、グラデーションに着色された50万本の竹ひごを田植えのように植えるというプロジェクト。前回、同地区でニコライ・ポリスキーの「バンブーウェーブ」の制作に関わった人たちを中心に結成された「一心会」のメンバー等、延べ150名以上の住民が連日のように“田植え”作業に繰り出し、夏・秋の田園風景と冬の雪景色が溶け合った幻想的な光景を現出させています。
土地の歴史と結びついた作品たち
使われなくなった家や施設を舞台にした優れた作品も多く見られます。
持田敦子は、隣り合うかつての教員住宅2棟を切断し、つなげ、改変し、日本列島を東西に分断するフォッサマグナによる地殻変動によって隆起し、削り取られてきたこの土地の歴史を想起させます。
松本秋則は、北アルプスの伏流水と良質な米による酒造りに使われた酒樽や道具、全国の清酒を展示していた「酒の博物館」で、信濃大町の自然をテーマに影絵や竹を使ったサウンドオブジェを展開しています。
フランスのニコラ・ダロは蔵全体を大きなミュージックボックスに変えてしまいました。機械仕掛けで楽器を演奏するユーモラスな動物たち、夏冬で色を変える雷鳥、かつて「塩の道」を往来した人々のフィギュア、雨や波の音が、大町の自然とそこを流れる時間を表現しています。ダロは、今年に唯一海外から渡航することができたアーティストでした。
旧大町北高等学校では、原倫太郎+原游が前回同様、体験型インスタレーションを展開、“小さな大町”を遊ぶことのできる「ウォーターランド」を制作しました。渡邉のり子も大町の人々の記憶をおさめた5㎝四方のたくさんの小箱を展示しています。前回も参加した世界的折り紙作家・布施知子は、コイル折りによる大蛇を教室全体にのたうたせています。
リモートでの制作
コロナ禍のもとの芸術祭。第1回との大きな違いのひとつは、ニコラ・ダロを除く海外の全アーティストの作品がオンラインを通じたリモートで制作されたことです。アーティストのデリケートな意思をどれだけ忠実に実現できるのか、それはアーティストにとっても、制作を担うわれわれにとっても大きなチャレンジであり、膨大な労力と想像力を要するものでした。幸運だったのは、コロナ禍が始まる前にアーティストが現地をすでに訪れ、場所の選定が終わっていたことです。延期によって与えられた時間は、アーティストと住民、制作者とのコミュニケーションを深める時間となりました。
ロシアのエカテリーナ・ムロムツェワは、かつての「塩の道」にインスピレーションを受け、60キロ以上の荷を背負って日本海から雪深い山道を運んだ人々を思い、人生において「運ぶこと」をテーマに「地域の物語」を描こうとしました。コロナ禍で来日し住民との協働が叶わない中、彼女は住民に向けた20分ほどのビデオを作成、そこで今回の作品の具体的なプロセスを説明し協力を依頼すると共に、自分のこれまでの作品を紹介し、「アートは異なる文化・背景をもった人たちとコミュニケーションできる特別な方法」であり、「コロナ禍の厳しい状況下であっても、国を越えてつながることはとても尊いこと」と語りかけました。盛蓮寺の蔵の壁に投影された過去と現在が重層する「運ぶ人」を描いた映像と、本堂に展示された「大切なもの」を運ぶ等身大の住民のシルエット。彼女の他者への限りない想像力、他者と理解し合うための創意工夫と熱意が地域と呼応し、見事に結晶した作品と言えるでしょう。
未知の国のアーティストの参加
今回のもうひとつの特徴は、海外からのアーティスト、特に日本で紹介される機会の少ない国のアーティストの参加が増えていることです。
サウジアラビアのマナル・アルドワイヤンは、光の女神、天照大御神を祀る須沼神明社の舞台に「もの派」を彷彿とさせるインスタレーションを展開しました。田んぼの中にポツンと建つ神社をまるで砂漠のオアシスのように感じたと彼女は語っています。世界を光で照らす天照大御神が二度と天岩戸に籠らないように、その入り口にしめ縄で結界を引いたという神話に想を得て、神社を取り囲む木々に見立てて舞台に200本のしめ縄を吊り下げ、真ん中に明かりを設え、神が歩く光の道を表現しました。彼女もまた強く再来日を希望していましたが叶わず、ビデオメッセージやテレビ電話でのやりとりを繰り返しながら、地域の人々が真冬の氷点下の時期からしめ縄をない、ねぶた工法で灯篭を制作。日本の祈りの文化とアラブの光=悟りの探求の文化が共振する空間が誕生しました。
グアテマラのポウラ・ニチョ・クメズは、マヤの世界観を鮮やかな色彩で描きだすアーティストです。大町を訪れた彼女は、自然が母のように空気、水、土、その他の要素を調和させていると感じました。彼女が描く信濃大町の風景が、まるでマヤの人々が暮らす世界のようにも見えてくるのは、それが自然との交感のなかで暮らすマヤの人々の世界と重なるからでしょうか。
ウガンダのドナルド・ワッスワは、制作工程がユネスコの無形文化遺産に登録されている美しい樹皮布織物の材料であるナブジに、大町の地域再生への願いを込めました。「ナブジは強く、複雑な状況を阻止する」という謂れを持つ樹皮布をウガンダから送り、大町の食文化を象徴する味噌樽や米育苗箱を融合させたインスタレーションを行いました。
彼らの作品からは、アーティスト自身の固有の文化や伝統を信濃大町の人々の生活文化につなげようとする営為が強く感じられます。
滅びゆく動物たちの物語
今回の芸術祭では、前回グッズのデザインをお願いしたmina perhonenの皆川明さんがヴィジュアルディレクターとして、ロゴ、印刷物のグラフィック、グッズ、ガイドブックのイラスト等、多岐に関わっています。10月2日、3日に森林劇場で上演された「Letter」は、皆川さんが2011年より毎週配信してきた「Letter」の言葉を、マームとジプシーの藤田貴大さんが拾い集め、mina perhonenの衣裳と皆川さんのイラストと共に春夏秋冬の季節を巡る物語に織り上げた舞台でした。滅びゆく動物たちが発する言葉は、コロナ禍が猖獗を極め、地球環境が危機に瀕する今、一層切実な響きをもって観客の心に突き刺さるのでした。
芸術祭の先へ
第1回から4年以上の歳月が過ぎました。昨年、大町市は、SDGsの達成に向けて優れた取組を提案する「SDGs未来都市」に長野県で唯一選定され、市やサントリーなど趣旨に賛同する官民6団体が「信濃大町みずのわプロジェクト」を発足させ、100年先も変わらない「水が生まれる信濃おおまち」を目指すこととなりました。
芸術祭を契機に長期的な地域づくりのヴィジョンが始まろうとしています。
北アルプス国際芸術祭は11月21日(日)まで。皆さまのご来場をお待ちしています。
北アルプス国際芸術祭2020-2021
アート会期:2021年10月2日(土)ー11月21日(日)
会場:長野県大町市
アーティスト:11の国と地域から36組 37作品
主催:北アルプス国際芸術祭実行委員会
公式サイト:https://shinano-omachi.jp/