TOPIC2020.09.28

私たちはなぜアートを買うのか
ーー3人のコレクターにきく

アートは作品を買うことから始まる――。アートフロントギャラリーは、1枚の版画を売ることからその活動を出発しました。「暮らしのなかに版画を!」という当時のキャッチフレーズには、美術館や画廊で鑑賞するだけのアートを、気楽に暮らしの中に取り入れ、楽しんでもらいたいと願いが込められています。お金を払って作品を所有してもらうということは、アーティストと観客の間に同時代性・共犯性をつくりだすことでもあります。

アートフロントギャラリーは、代官山ヒルサイドテラスの秋恒例の猿楽祭(10月10日、11日)に向けて、多様なアート作品をご覧いただける「アートフェア」を開催いたします。人生におけるアート、そして「アートを買う」をテーマに、井上明さん(会社員)、トマ・アントニエッティさん(シャネル・クリエイティブディレクター)、吉田浩一郎さん(クラウドワークス代表)の3人のコレクターにお話を伺いました。

「現代アートは人文科学と社会科学の交差点。アートは触らないと始まらない」

――井上明さん(会社員)

企業で知財契約関係のお仕事に携わる井上明さんが、現代アートに興味を持つようになったのは、2008年、渋谷の松涛美術館で観た中西夏之新作展がきっかけでした。
「いわゆる印象派や浮世絵など、日本人に人気のあるアートには興味がありませんでした。もともと体系的に調べるのが趣味で、たまたま日本の戦後の前衛美術史を本やネットで調べていくなかで中西夏之の抽象画に出会いました。ちょうどその時に新作展があることを知り、出かけたのです。その頃、中西さんはご存命でしたが、日本が歩んできた時間、それぞれの時代を反映している現代アートは面白いと思いました。私は普段はアートとはまったく関係のない、社会科学系の仕事をしていますが、アートは人文科学と社会科学の交差点にあると思っています。」


その後、美術館に通い、図録を集め、美術評論を読んでいくなかで、井上さんが最初に買い求めたのは、世界的彫刻家・豊福知徳(1925-2019)の立体作品でした。

井上さんのコレクション 豊福知徳の作品

「豊福さんは九州出身の特攻隊員だった人で、戦後、イタリアに移住し世界的に活躍し、昨年亡くなられました。木材に穴をあけていく作品が面白いと思ったんです。それから、ネットで丹念に調べながら、美術史的に確かで、自分が〝いい″と思ったアーティストの作品を体系的に集めようと思いました。コレクションの基準をつくるためには、いろいろと勉強しました。特に光山清子さんの『海を渡る日本現代美術―欧米における展覧会史1945~95』(勁草書房)は自分の基準をつくるのに大変役に立ちましたね。私はサラリーマンですから、高額な作品には手が出ません。でも現代アーティストの作品は手が届くところにある。私はほとんど分割で作品を買っています。」

「画廊から勧められた作家を買うということはない」と語る井上さんがアートフロントギャラリーと出会ったのも、ご自身で見定めた作家のひとり、モノタイプの版画で知られる一原有徳(1910-2010)の作品を探す過程においてでした。

一原有徳の版画作品もコレクションのひとつ

「一原有徳さんは戦後の前衛美術を振り返る展覧会では必ず取り上げられています。私は抽象が好きで彼のエディションワークを買いました。河口龍夫さんの作品もアートフロントギャラリーで購入しました。河口さんの作品は社会的主張があって以前からいいな、と思っていましたが、決定的だったのは、大地の芸術祭で<黒板の教室>を観たことでした。感動しましたね。農具を使った作品にも、触発されました」。

しかし一般に、アートを「見る」ことと「買う」ことの間には大きな距離があります。そのディスタンスを井上さんはどう越えられたのでしょうか。

コレクションのひとつ、高松次郎の版画作品と井上明さん


「そうですね。展覧会に行く人は多いですが、買う人は少ないですよね。でも、美術館で作品を数秒、数分見るだけでは、作家の作品への思いなど、わからないと思うのです。もちろんそれが一生心に残ることもあるかもしれませんが…。私は立体作品が好きなのですが、買って、手元において、何度も見て、触って、初めてわかるような気がするのです。アートを買うというと『理解できない』という反応がかえってくることが多いのは、ちょっと残念ですね。」

井上さんにとって「アートは生活に張りを与えるもの」。花を買うように、アートを買い、楽しむような習慣が日本にも育まれていくことへの期待を、インタビューの最後に語られました。

「アートは人生のマイルストーン。試さないとわからない」


――トマ・アントニエッティさん(シャネル日本法人クリエイティブディレクター)

 現在、シャネル日本法人でクリエイティブディレクターを務め、日本人の奥様と生後10か月のルカくんと東京で暮らすフランス人デザイナー、トマ・アントニエッティさん。学生時代、文部科学省の給付留学生として武蔵野美術大学に在籍したこともあるトマさんにとって、アートは幼い頃から身近な存在でした。フランスでは若い人を含め、アートを買うのは日常的なこと。ご自宅には、パリのイヴォン・ランベール・ギャラリー(Yvon Lambert)で購入したイラストレーターの作品やアートポスター等が壁中にかけられています。

 トマさんが日本で初めて買った作品は、袴田京太朗の立体作品でした。

「初めて資生堂ギャラリーで袴田さんの展覧会を観て、それから何年かして、金沢21世紀美術館で袴田さんの作品集を買いました。その時、彼のアートを最初に見た時の強い印象を思い出し、彼の作品を買おうと決心したのです。彼の作品は色と形の組み合わせが面白く、僕の出身地のブルターニュの旗が縞々ということもありました。それからウェブで調べてアートフロントギャラリーでも取り扱っていることを知り、訪ねたんです。」
その後、トマさんは袴田さんに作品を依頼、片手でもてるサイズのカラフルな縞々の立体作品を手に入れました。

「移動を重ねてきた僕は、それを日本での人生のマイルストーンとして買いました。アートは、ファッションや建築、デザインと同じように社会を映し出すもの。そして自分の人生を映し出すものなのです。ファイナンシャル・アセット(金融資産)としてアートを買う人もいますが、僕にとってアートは場所のアセット(資産)。よく本棚を見るとその人のキャラクターが見えると言いますが、アートもそう。僕にとっては、自分という風景を見せるものとして、アートがあるのです。」

 リビングの壁には角文平の彫刻作品がかけられ、階段の踊り場の袴田の作品の隣には藤堂の小さなオブジェがさりげなく置かれています。

「角文平さんの作品を初めて見たのは、2013年の瀬戸内国際芸術祭でした。最初、角さんの作品を見た時、子どものおもちゃのようだと思い、幼い頃、好きだったプラモデルを思い出しました。僕の育った家には大きな庭があって、父と僕はいつか木の上にツリーハウスをつくりたいと思っていました。それは実現しませんでしたが、角文平のツリーキットの作品を見ると、そんな子どもの頃のことが思い出され、この小さな家を鳥たちや子どもだった自分のための家のように想像してしまうんですね。この作品を見ながら、そんな物語をルカに語りたいなと思うのです。」

作品を予約したのはコロナ禍が始まる前。そしてつい最近、ようやく手にすることができました。
「地球環境が激変し、コロナ禍によって社会が変わるなかで、作品の見方も違ってきましした。角さんの作品の意味が、以前よりも強く感じられます。作品の予言性というのでしょうか」。

日本では美術館には足を運ぶものの、ギャラリーというと敬遠されがちです。「アートはラグジュアリーなものと思われていますが、試さないとわからない。シャネルのファッションも同じだと思っています。どうやったら入りやすくできるか、庄司さん(アートフロントギャラリー・ギャラリー部門担当)ともよく話すのですが、ギャラリーでアーティストに会えるのはいいですね。アーティストと会って話すと、アートはぐっと近くなる。オープニングやクロージングだけでなく、アーティストともっと接点があっていいと思います。」

ルカくんが生まれて、アートに対する考え方が以前よりも広がったと語るトマさん。多様なアートに囲まれた環境でルカくんが育ってほしいと願っています。

愛息ルカ君と角文平の作品とトマ・アントニエッティさん

「ルカには様々な職業をもった10人のゴッドファザー/マザーがいます。それは彼の人生にとってとても豊かなこと。アートも彼にとってそうであってほしい。アートは不要だけれど大切なもの(unnecessary essential)。たとえば、イタリアでの展覧会に使われたエットーレ・ソットサスのアイコニックな写真や、トミー・ウンゲラーやロマン・シエスレヴィチがデザインした映画のポスターの顔とか。いっぱいの顔やアートに囲まれて、ルカがどう成長するか楽しみです。」

「唯一無二のアートに惹かれる。アートは歴史の中に今いる自分を確認するもの」

――吉田浩一郎さん(クラウドワークス代表)

オンラインで在宅ワーカーと発注者をつなげ、仕事の場を創り出す日本最大のクラウドソーシング「クラウドワークス」の創業者でCEOの吉田浩一郎さん。大地の芸術祭のオフィシャルサポーターでもあります。コロナ禍で働き方が大きく変わり、生活環境の見直しが始まる中、ご自身やまわりの人たちの環境も変わってきたと言います。

「テレワークやリモートワークにより家で過ごす時間が増え、〝壁″を意識するようになりました。Zoom会議で背景となる“壁”の見せ方は自己表現のひとつとなっていて、後ろに映る本棚をどういう風に見せるか、どんな本を置くかといったことが世界的なトレンドになっていると聞きます。これまで自宅の部屋は見られる存在ではありませんでしたが、今は自分のキャラクターを表現する空間に変化しているのを感じます。一方で、ミーティングとは関係なく、家での滞在時間が伸びている中でQOL(生活の質)を上げるために壁や廊下に絵や彫刻、立体をどう置くかということが私の周りでも流行ってきています。まわりの友人の中には自宅近くに小さい自分用のオフィススペースを借りて、そこにアートを置く人も増えたように思います。」

 お話を伺った吉田さんのオフィスのお部屋にも、藤堂レアンドロ・エルリッヒの作品が置かれています。吉田さんのアートへの関心はいつから始まったのでしょうか。

「僕はもともと演劇青年で、就職する気すらなかった。幼稚園のお芝居で<ヘンゼルとグレーテル>のお父さん役で褒められたのが始まりです(笑)。大学では劇団を主宰して、4年生の時に大きな野外公演を打とうとしたのですが、契約ミスで借金を負い、まわりにも迷惑をかけてしまいました。そこで、一度はきちんと契約やお金のことを学ぼうと就職をしました。でも、自分のベースには、大学時代に傾倒した寺山修二、ダダやシュルレアリスムがあるんですね。」

さらに吉田さんはマルセル・デュシャンへの共感を語りました。

「私が育ったのは、山を切り開いて造成されたきれいな新興住宅地。昔からの文化や歴史のない街を出て、キリスト教や能などの古い歴史ある世界に触れた時、強烈な疎外感を覚えました。既成の美術界から疎外された中で新しいものをつくろうとしたデュシャンを見た時、すごく共感を覚えました。」

社会に出て働く一方、大学の頃に関わりのあった大人計画やゴスペラーズなどが圧倒的な成功をおさめていくのを見つめながら、吉田さんは29歳でベンチャー企業を立ち上げ39歳で上場。その間、演劇もアートも一切封印し、事業に邁進しました。それから間もない2015年、オイシックス(現オイシックス・ラ・大地)代表の高島宏平さんとアイスタイル代表の吉松徹郎さんに誘われ大地の芸術祭のオフィシャルサポーターとなります。

「演劇出身ということもあって、消えてなくなるような、そこにしかないものが好きなので、大地の芸術祭のその場所でしかありえないアートはとてもいいと思いました。レアンドロ・エルリッヒの取り組みも、アンソニー・ゴームリーの家も、カバコフの作品もそこでしか成立しない。この前、パリのポンピドーセンターでたまたまボルタンスキーの展覧会を観ましたが、その一連の作品のどれとも違う「最後の教室」が越後妻有にある。彼がまた越後妻有でやりたいという理由もよくわかりました。

 今、すごく葛藤しているのは、大地の芸術祭というひとつの確立された世界と、グローバルな流通に接続しているアートマーケットの世界を自分の中でどう位置づけるかということです。この5年間、アートフロントギャラリーや大地の芸術祭としかおつきあいしてこなかったのですが、最近他のギャラリーとのご縁をいただく中で、「これは必ず価格が上がる」と言われたりします。でも、それだとアートは車やジュエリー、時計と変わらないということですよね。自分の趣味趣向と市場の価値が接続していなくて、マーケットでの価値とかあまり興味がないのですが、大地の芸術祭に参加しているアーティストもまたビジネスに関わっているわけで、その狭間での立ち位置を考えてしまいます。」

オフィスに設置されたレアンドロ・エルリッヒ作品 

大地の芸術祭との関りを経て、吉田さんが最初に買ったのは、藤堂の作品でした。

藤堂作品と吉田浩一郎さん

「石は有機物で再生産不可能。自然にある唯一無二のものです。一方、ガラスは人間が造り出した拡大再生産が可能な人工物。藤堂さんの作品は、地球の歴史の中に現在という時間を刻みつけている。この作品を持っているのは世界中で私しかいません。舞台も再生産不可能で、その場所でしか成立しない。それは、大地の芸術祭のあり方に近いのでしょう。人間が介在しなかった地球に、人間の手によるアートを付加するというのは、歴史に関わる作業です。アートが純粋に独立したものではない。そこが好きです。」

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