TOPIC2024.12.20
2024年がもうすぐ暮れようとしています。アートフロントギャラリーでは、今年、4つの芸術祭に携わり、能登半島地震による珠洲の震災復興への関わりも始まりました。一年を振り返り、北川フラムが語ります。
能登半島地震での幕開け
2024年は元日の能登半島地震によって幕が開け、私たちが芸術祭で関わってきた珠洲市が壊滅的な被害を受けました。その被災状況を伝える映像や人は、芸術祭を訪れ、その地を歩き、地元の人たちと交流した人にとってリアルなものでした。被災地への心の寄せ方が半端ではありませんでした。手伝いや寄付の申し出も多く、芸術祭は異なった場所、人に対して心を寄せる交流・交換の場となっているのだと実感しました。こうした人々の珠洲への想いをつなぐために「奥能登珠洲ヤッサ―プロジェクト」を1月に立ち上げました。
9月、復興への道筋が見え始め、いくつかの祭りも再開された矢先、珠洲は豪雨により再び甚大な被害を受けました。しかし今、珠洲は芸術祭の再開も視野に入れた復興計画を準備しようとしています。
先陣を切った内房総アートフェス
今年は4つの芸術祭が開催されました。
3月23日に始まった「内房総アートフェス」は、2014年から「いちはらアート×ミックス」を開催してきた市原市を中心に、東京湾に面した5市が連携して行われました。総合プロデューサーは音楽家の小林武史さんがつとめ、私はアートディレクターをつとめました。アート部門では、従来通り、場所の特性を活かすサイトスペシフィック・アートの手法でそれぞれクセのある地域で作品展開を図りました。
市原市では、市原湖畔美術館、牛久商店街、旧里見小学校、月出工舎という4つの拠点が会場となりました。湖畔美術館では市原市に多い外国人労働者に焦点を当てた展覧会を行い、旧里見小学校は地域全体の「ものづくり」を担う工房として生まれ変わりました。アクアラインにより東京とつながる木更津市は小林さんが主宰するクルック・フィールズや木更津駅周辺、海岸で作品を展開しました。袖ケ浦市は昔から農業が強い地域であったので、上総掘りの井戸や農家が残る袖ケ浦公園という一種の農村公園に作品を制作設置しました。君津市は、海苔の養殖の生産地から鉄鋼生産拠点へと変貌した内房の歴史が最もよく見える地域です。そこでは、「民族大移動」と呼ばれた二万人規模の九州からの移住者のためにつくられた団地や、旧保育園、八重山公民館を会場に選びました。そして富津市では東京湾の埋め立て事業によって姿を変えた漁業を紹介した埋立記念館とその周辺の公民館や公園で作品を展開しました。一大工業地帯へと変わっていった東京湾をテーマに、それぞれのアーティストの異なる表現が重なり合う面白さがありました。
イベントは小林武史さんが5市それぞれの会場ごとにプロデュースされ、曲をつくり、頑張られました。
5市連携という新しい試みは、移動するだけでかなり時間がかかり、また共通の目的が見えないためサポーターが動きにくかったといった課題も残しましたが、アーティストが奮闘し、ひとつひとつの作品のレベルが高かったこともあり、今年の芸術祭の先陣として、次にバトンをつなぐことができたのではないかと思っています。
第9回を迎えた大地の芸術祭
7月13日からは「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催されました。11月まで火曜水曜休みの87日間という長丁場でしたが、うまくいったのではないでしょうか。特にバスツアーが好調で、運転手が足りないくらい、連日多くのツアー客でにぎわいました。第1回の芸術祭の時、広い地域に作品を点在させたことで、「田舎で不便な上に、なぜ作品を集中させないのか」と批判されました。しかし、その「欠点」から「ツアー」が生み出されたわけです。これは画期的なことだと言えるでしょう。
大地の芸術祭には家族連れが多く、またリピーターの割合が非常に高いのが特徴です。彼らは、「妻有に行けば面白い」と思ってくれている人たちです。今回は特に、体感や参加性を意識した作品展開を図りました。奴奈川キャンパスは「五感全開美術館」と銘打ち、越後妻有里山現代美術館「MonET」では原倫太郎・原游のユニットが「モネ船長の87日間の四角い冒険」というグループ展をキュレーションしました。これまでMonETの池では、ボルタンスキーや蔡國強といった大物アーティストがドンとした作品を発表してきましたが、今年はいろいろなアーティストたちの五感で楽しむ作品が池の周りに展開され、好評でした。
こうした「五感で楽しむ」ことの典型として取り組まれたのが「大地の運動会」でした。地域の人たちだけでなく、難民や仮放免者、障害がある人、貧困家庭の子どもたちなど、多様なバックグラウンドを持つ24の国と地域の約500人が参加しました。芸術祭の真っ最中での開催準備は大変でしたが、いろいろな人たちの共有の体験の場をつくりだせたことは、大きな意味があったと思います。
「世界とつながる」ことは大地の芸術祭の最初からのテーマです。私たちはできるだけ多くの国や地域の人たちと関わりたいと思ってきました。イリヤ・カバコフは第1回に「棚田」という作品を制作し、2015年以降、昨年亡くなってからも作品を提供し続けてくれました。彼はソ連下のウクライナで生まれ、厳しい社会統制下のモスクワで生き延び、やがてニューヨークに移住するという、20~21世紀の激動の世界を体現したアーティストです。ウクライナで今も活動するニキータ・カダンは、今回、大変な中、いろいろな人たちの協力を得て来日を果たし、MonETと津南町の三箇で作品を発表しました。彼の参加と来日を通して、私たちはこの時代のリアリティを実感することができたように思います。
アントニ・ゴームリーは2019年に続き、新作を制作してくれました。極東の島国である日本になぜこれだけ多くの人たちが集まって暮らし、面白い文化が生まれてきたのか。それを世界の人類史の中で考えていきたい。ゴームリーはこうした人類史を参照しながら作品をつくってきたアーティストであり、彼には今後も継続して越後妻有に作品を提供してほしいと思っています。
「サイトスペシフィック」とは「地域を掘り下げる」ということです。越後妻有の最深部、秋山郷の「アケヤマ―秋山郷立大赤沢小学校」はその好例となりました。深澤孝史さんは前回の芸術祭から継続的にこの地域に入り、義務教育免除地の悲願の学校として生まれながら廃校になった小学校を使い、生きる知恵と技術を学ぶ学校をつくりました。深澤さんがディレクションし、選んだアーティストたちもよかった。多くの人たちが楽しみ、人間と自然との関わりの大切さ、奥深さを知ったと思います。社会人類学者のティム・インゴルドさんも来てくださり、講演をしてくださいました。
秋山郷のある津南町は、大地の芸術祭の取り組みにおいてこれまで少し温度差がありましたが、今回は大割野商店街、上郷クローブ座、信濃川発電所連絡水槽と砂防ダムがある三箇を核として全体に盛り上がりました。
世界有数の豪雪地である越後妻有では、芸術祭は雪のない季節で行われてきましたが、今回はこの最大の特色を活かしたいということで、年初に田中泯さんに「雪の良寛」を大雪原の中で踊っていただき、芸術祭の始まりとしました。10年前から続く「雪見御膳」は、集落ごとにお客様をもてなす取り組みで、今年は8集落で行われ、いい形でやれてきたと思います。
今回の芸術祭では、これまで以上に外国からのお客様、そして視察が多くなりました。越後妻有に関わるようになって四半世紀以上が過ぎましたが、越後妻有における地域づくりの形が見えてきたように思います。
秋の2つの芸術祭―北アルプス国際芸術祭、南飛騨Art Discovery
大地の芸術祭が続く中、2つの芸術祭が始まりました。ひとつは長野県大町市を舞台にした「北アルプス国際芸術祭」です。大町市を5つのエリアに分け、それぞれの場所の特色を活かした作品が生まれました。特に初参加のイアン・ケア、2回目のケイトリン・RC・ブラウン&ウェイン・ギャレット、前回はコロナで来日できなかったヨウ・ウェンフーなどの外国人作家が突出した仕事をしてくれました。全体的に大町ならではの作品が多く、面白かったと思います。どういう場所でやるか、廻り方の工夫、どう広報していくか、といった課題はありますが、地域の人たちの理解や関わりも少しずつ進んできたと思います。
今年新しく岐阜県下呂市で10月後半から始まったのが、「南飛騨Art Discovery」です。これは今年岐阜県が国民文化祭開催地であるということで、突然もちあがったプロジェクトでした。会場は20年近く前、全国植樹祭が開催された下呂市萩原地区の南飛騨健康増進センターの森林公園です。アート、マルシェ、セミナーという3つのプログラムを軸としました。これまでの広い地域を巡る芸術祭とは異なり、狭い地区の山道を巡るという取り組みに、「面食らった」「もう少し広い場所で」という感想もいただきましたが、狭い中で見えてくる面白さもありました。弓指寛治さんには出展とともにアドバイザーとして若い作家を紹介してもらい、遠藤利克さん、西澤利高さんの大型作品は強い印象を残しました。
岐阜県は日本列島の中心に位置し、時代の変わり目になった戦い(壬申の乱、承久の乱、関ヶ原の戦い)の地です。標高3000メートルを超える山々が連なり、御嶽山の噴火による灰は列島全域に降りつもり、火山列島・日本の典型とも言える地です。県土の約8割は森林が占め、土地の自然を活かした匠が生まれてきました。80の出店者が週替わりで参加したマルシェは、こうした匠を登場させようと企画されました。4回にわたって行われたセミナーは、この地で今後どうやっていくかをテーマに開催されました。これから日本三大名湯である下呂温泉と自然、芸術文化を重ね合わせた「クアオルト(保養温泉地)」を目指して地域計画を考えていけるのではないかと思っています。
これら4つの芸術祭がつながりながら開催されたことで、ひとつの展望がひらかれたように思います。
来年は瀬戸内国際芸術祭
数えてみると、2000年の第1回大地の芸術祭以来、20回を超える芸術祭を開催してきました。来年には第6回を迎える瀬戸内国際芸術祭が4月18日から春・夏・秋と100日以上にわたって開催されます。次回の瀬戸芸では、「世界とつながる」「12の市町の地域計画とつながる」が大きな特色となります。また企業の参画が非常に多く、その背景には企業がメセナといった社会貢献として芸術祭を支援するだけではなく、自社の経営にとって地域との関わりが大きいと認識し始めたことがあると思います。
こうした芸術祭の動きをめぐり、面白いことが起きてきました。
11月、世界銀行が『Regional Revitalization through Community-driven Site-Specific Art Festival – The Case of Echigo-Tsumari Art Triennale(コミュニティ主導のサイトスペシフィックアートフェスティバルによる地域活性化:越後妻有アートトリエンナーレの事例)』というレポートを発行しました。開発途上国の開発援助を行ってきた世界銀行が、経済第一主義が加速し、世界的に格差が拡がる中で地域型芸術祭に注目し、その方法論と経験を世界各地域の活性化に活かそうというのです。こうした流れはアジア各地にも拡がり、特に中国では「大地の芸術祭」と銘打った芸術祭が数年前から各地で開催され始め、第2回となる「広東南海大地の芸術祭2024」が始まっています。
来年の瀬戸芸には、ニュージーランド、スウェーデンが国がらみで参加、越後妻有には釜山文化財団、サウジラビアといった外国の市や国からの継続的な交流のオファーがきています。地域をベースに、国や法律、習慣が異なる外国の人たちとそれぞれの体験を共有し、経験を活かしながら、考えていくことが大切だと思います。
今年、大地の芸術祭は「歓待する美術」をキャッチフレーズとして取り組みました。他者が地域に入るとき、あるいは他者を迎えるとき、美術はやわらかな媒介者として実にいい働きをすることがわかってきました。美術を媒介にすることでいろいろな人たちを人と自然につなげ、喜んで迎え入れることができる。美術の可能性をますます拡げていきたいと思います。
TOPIC
5/31(土)開催 東大病院ホスピタルアート導入 報告会と見学会展覧会
イ・ビョンチャン個展「アリの消失点」 ご好評につき、6月1日(日)まで会期を延長いたします。ぜひこの機会にご来場ください。TOPIC
5/19(月)開催 北川フラム塾 芸術祭を横断的に学ぶ 第43回 食と農業(ゲスト:藤原辰史)芸術祭
「越後妻有の春2025」4月26日より始まりますTOPIC
6/15(日)開催 世界難民の日特別イベント UNHCR×瀬戸内国際芸術祭「ホンマタカシと池澤夏樹が語る難民の旅路、新しい故郷」:渋谷ヒカリエ8/展覧会
市原湖畔美術館 小湊鉄道開業100周年記念展「古往今来・発車オーライ!」 会期:4月26日(土)ー9月15日(月・祝)アートコーディネート
ヒルトン京都やTIADなど 最近のアートコーディネートをご紹介します芸術祭
世界銀行が「大地の芸術祭」をモデルにした地域型芸術祭の英文レポートを発行しました