TOPIC2023.06.29

川俣正インタビュー 《工事中》から40年。アートプロジェクトとドキュメントの未来

アートフロントギャラリーは、7月7-9日に開催されるアートフェア「Tokyo Gendai」に川俣正作品を出展致します。およそ40年前、川俣が自身にとってメルクマールと位置付ける作品《工事中》は弊社にとっても初めてのインスタレーションプロジェクトでありお互いに重要な仕事となりました。

改めて川俣正さんに、アートフロントギャラリーとの40年にわたる関係と、世界各地で展開されるアートプロジェクトとそのドキュメントについてお話をうかがいました。

川俣正インタビュー

アートフロントとの出会い

AFG:川俣さんとアートフロントギャラリーとの出会いから教えてください。

川俣:アートフロントとの関わりはそれは長い歴史で、僕が藝大の学生のときに北川フラムさんに会いにいったんですよ。なぜ会いにいったかというと、当時既に僕は画廊や美術館というよりも、街の中でもっと大きなことをやりたいなと思っていて、プロジェクトを一緒に考えてもらえる、あるいはそういうきっかけになるような人をずっと探していたのです。友人から北川って変なやつがいると聞いて、渋谷の小さな事務所に訪ねて行きました。

1979年か80年か、そこで初めて北川さんに会ったのですが、第一印象は非常に強烈でした。小さなマンションの一室で5分ぐらい待っていたのですが、その部屋に成田闘争の資料とか砂川闘争とか山のようにスクラップブックや資料が積んであって、この人はいったいどういう人なんだろうと思いました。そのあと何を話したかよく覚えていないのですが、最後に言われたのが「味噌を買っていけ」。味噌がそこに積んであって、それを買って帰ったのを覚えています。

AFG:スタッフの実家が長野県の木曽福島の味噌を造っていて、バブルが始まる前にあるデパートにそそのかされて設備投資したけどうまくいかず、当時はその味噌を売るのをお手伝いしていたのです。

川俣:そのあと北川さんと何度か会って話をして、そうこうするうちにアートフロントが代官山で「ヒルサイドギャラリー」を立ち上げ、拠点を置くことになった。そこでなにかできないかといわれて、最初にやったプロジェクトが1984年の《工事中》なんです。とにかく何かやろうと。実は《工事中》の名前をつけてくれたのは北川さんで、そのとき池田くん※がPHスタジオをやっていたので加わってもらい、僕は《工事中》の後始末もしないうちに、あとを池田くんに任せて、奨学金で決まっていたNYにいったんです。《工事中》のおかげで池田さんも北川さんと初めて関わりができたのだと思います。 

※池田修 BankART1929元代表 2022年逝去

>>>池田修さん追悼 協働の40年を振り返る

それから延々と、いろいろなつきあいがありました。例えば越後妻有は、始まる前に北川さんから何かできないかと話があり、大地の芸術祭をいわば裏側から見ていました。「アパルトヘイト否!国際美術展」もあったし、長い歴史の中で、その都度その都度、北川さんが動くときに僕も一緒に動いて、動かしてもらったというのは確かにありますね。

川俣正《松之山インスタレーション、松之山プロジェクト》大地の芸術祭2000 photo by ANZAÏ

でも基本的に僕はほとんど海外だったので、年に一度帰ってきたときに何か一緒にできることがあればやる、という感じでした。今もそういうふうに続いていますので、あまり個人的なつきあいは無いのですが、とにかく仕事でいろんなところで一緒にやっています。
当初今の北川さんのようになるとは思っていなかったけど、「アパルトヘイト否!国際美術展」あたりの頃から「この人、ちょっとほかとは違う方向だ」ということがわかってきて、そこらへんである種のシンパシーはすごく感じていました。1978-79年にガウディ展というのがありましたね。ガウディの展覧会のレセプションに出たり、いろいろなことが節々で歴史の中にあって、妻有や瀬戸内国際芸術祭が始まり現在まで続いています。

AFG :《工事中》ですが、ヒルサイドテラスの外壁工事をするというタイミングで、北川が川俣さんにお声がけしたのですね。

川俣:そうですね。いろいろな条件がちょうど繋がってきて、それに僕らがのっていったところがあるんですよ。やる当時まだ形がみえていなくて、とにかく外壁塗装が始まったから手前の方に僕らは何かしようかぐらいの軽い気持ちでヒルサイドテラスの朝倉さんにも話したりして。でもあんな風になるとは思わなかったというのが確かにありますけれども。今思えばね。(注:ヒルサイドテラス全体を木材で囲むインスタレーションによって本当に「工事中」と思われ、テナントから営業妨害とのクレームを受け1週間ほどで撤去される。週刊写真誌にも取り上げられ大きな反響があった)

AFG: その後2017年に同じヒルサイドテラスで《工事中》再開というプロジェクトをされて、そのときに1984年の写真、図面や模型などが多面的に記録され残っているのに驚きました。
>>《「工事中」再開》展リポート 

川俣:7月7日から竹中工務店のギャラリーA4で展覧会をするんですよ。[川俣正「アパートメント・プロジェクト」 1982-86 ドキュメント展〜TETRA-HOUSEを中心に〜]

その「アパートメントプロジェクト」だけまとめてカタログにする予定です。(現代企画室出版)その中に《工事中》の資料が出てきます。実は池田くんがいろいろな資料を持っていて、プランだとか皆で話し合っていた時の資料が100枚ぐらい出てきました。それを提供してもらい今回のギャラリーA4で展示しようと思っています。初めて見るんじゃないかな、《工事中》のプランの裏側とか背景とか。

AFG: それは凄い資料ですね。そうすると《工事中》のドキュメント、記録は川俣さんが主導されていたというより協働者である池田さんやPHスタジオの方々が自主的にされていたのですね。

川俣: もちろん。いろいろな人が手伝ってくれていましたが、たぶん池田くんが、僕のスケッチとか描いていたものをみんなまとめたんでしょう。大きな袋に全部はいっていたらしいんですよ。
あと、《工事中》と《「工事中」再開》の間に《代官山インスタレーション》という企画があったんですね。(注:1999年から2013年まで8回。代官山の街中に展示する公募によるインスタレーション作品展。審査員に中原佑介、槇文彦、北川フラム、川俣正)

その審査を通していろんな作家のプランを見て、そこで自分だったらどうするかというのがいつもあって、それが《「工事中」再開》のきっかけになりました。自分だったらもっとこんなふうにやるだろうなというのがあって、《工事中》も中断したし、それが《再開》展に繋がった。改めて代官山のヒルサイドテラスでできないかという。

《工事中》のときもちょうど建築家の槇さんが海外出張中でいなかったし、《「工事中」再開》のときもいなかったんですよ(笑)。今回は一応、屋根を使っていいですかという打診はして、屋根だったら問題ないだろうと許可をもらったので。また目の前の歩道橋がとれるということもあったりして、いろいろな条件をふくめてプロジェクトを始めたという感じです。

AFG: ずっと継続して、あるいは間があいていても繋がっているようなプロジェクトなのですね。

川俣: それはまさに槇さんのヒルサイドテラスの建築の手法ですよね。もしかすると何年かのちに「再再開」もあるかもしれませんよね、あと何年かしたら。前回も完結はしていないし。

アートドキュメントの価値とは

AFG: 1984年の《工事中》からすぐに海外に行かれて、現在もフランスを拠点に世界各地で活躍されている川俣さんのお仕事を全て見ようとするととてつもなく大変ですよね。

川俣: そうですね。

AFG: それでも川俣さんの一連のアートプロジェクトに対する評価は高く、見る事はできないんだけど価値が共有されるというのは、やはり一つはドキュメントという部分がすごいのではないか。プロジェクトとドキュメントの相関関係や位置づけについて教えてください。

川俣: 僕の中で自分なりに思っていることはどこでプロジェクトを展開しても、「やっている」ということは示していきたい。どこで活動していても作品をつくろうが何をしてようが、やっていることを示していくしかないだろうと思っています。いちいちうちでやっている細かいプロジェクトをすべて網羅できるわけではないですが、今はネットもあるので即、情報が出ていくという状況もありますね。

僕、昔からプランしたり、スケッチしたり絵を描いたりということはやっていたのでそれを(実際のインスタレーションとは別に)ギャラリーで展示したこともありました。プロジェクトをやるってことは当然、いろいろなプランだとか資料とか模型とかが出てくるのでそれはそれで一つの材料として展覧会ができるのではないかと思って。だから最初からずっとギャラリーとのつきあいもあったし、ギャラリーでインスタレーションすることもあったし、別のところでインスタレーションは設置ということもあったけど、どこかでスケッチなりプランなり、模型(マケットと言っているんですが)をつくってはいましたね。

川俣正《Site Plan 28》wood paint  455x610x70mm
川俣正《Site Plan 28》wood paint  455x610x70mm

ここ20年ぐらいはそういう自分なりの最初のイメージのプランというか、実現可能か不可能かは別として、イマジネイティヴな模型、マケットをつくり始めたんですね。もちろんそれらは機会あるときには展覧会をしていましたし、パリのギャラリーでそういったものを扱っているところもある。もちろんインスタレーションもやりますが。だから僕としては(インスタレーションとプランやスケッチが)そんなに離れたものとして別個のものとは考えていません。やはりプロジェクトがメインでそれに対するプランニングであったり、打合せのために使う模型である。平面つくっている、絵を描いているという意識もあまりなくてやはりプロジェクトのための下地、あるいはエクササイズみたいな感じです。それが結果的に一つの展覧会として、ドローイング展とかドキュメント展とかになる。

今回7月7日に始まるギャラリーA4の展示では、40年前のテトラハウスのマケットをコレクターの人が貸してくれまして、北海道で11点位作ったうちのやっと4点ぐらい集まったんですけれども、非常に懐かしい。昼間はみんなでプロジェクトをやり、夜中に僕がつくっていた作品なんですがそういうのが出てきて今とあまり変わらないなと思ったんです。そういう意味で僕の中では途切れなく、プロジェクトがあってそういう平面、あるいは立体が出てくるのは普通にあったわけですね。だから当時は特別、ギャラリーで展示しようという発想はなかったのですが、今ではそういうものがいろいろなところで出ていって、今年のバーゼルのアートフェアでも、ヨーロッパの二つか三つのギャラリーが出展しています。今も作品が動いている感じです。

AFG:プロジェクトは場所の制約や、かかわる人などで変化し、何が起こるかわからない、ゴールがみえないある種の面白さがあると思うのですが、川俣さんがあるプロジェクトのためとはいえ、自分のコントロール下で作られる作品はもっとコンセプトそのものを表しているのでしょうか。

川俣:ま、プランだからいろいろなイマジネーションとか含みながら、かついろいろなことを思いながら、個人的にまったく一人でつくるんですね。マケットもほとんど自分でつくっている。だから限定された条件のプロジェクトではありながら、プランの方だけどんどん飛躍していくこともあるし、実際(進行していく)プランと全然違っていくこともある。僕の中ではある種のエクササイズ的なものになると思うんです。

AFG:場所に対する予備知識やプロジェクトの与条件を知らなくても何かすごく惹かれるというか、ある種視覚的に美しい。

川俣:わかりますよ、ギャラリーに展示するじゃないですか、それはプロジェクトについては知らない人が見ているわけだから、それはそれでマケットだけでみているわけだから。一方、背景を知っているひとは、このプランはあのプロジェクトなんだな、あるいはこれからやるかもしれないプロジェクトなのかもしれないと思うんだけど。でも普通の人はマケットならマケットだけみて判断するわけですよね。そこらへんは、僕としてはどのようにみえるのか見せるのかということを気にする発想はあまりないですね。

パリでは画廊が月に1回ぐらいアトリエにきて、作品を漁ってもっていくんですね。それをどう展示するのかもまったく知らないし、もちろん売れたらお金がはいってくるんだけど。あとから記録をみるぐらいで僕の方ではあまり興味ないです。

AFG:展覧会のためというよりは、あくまでプロジェクトのためという感じですね。

川俣: はい、ただ今回、Tokyo Gendai に関しては今回は実際にやったプロジェクトの一部をもってきて、展示することになるんじゃないかな、Nest にしてもTree Hut にしても、木にくっついた状態で展示するんですよ、これは初めてです。こんな形の展示の仕方で出すのは初めてなんです。木を自分で選んでその木に作品をつけて、その一部だけをカットして持ってくるという。海外でもそういうのはやったことないし、これからそういうのもありかなと思ったりしたんですけどね。

川俣正《Tree Hut with tree》2021 木材、トタン、樹木 photo:Hiroshi Noguchi

AFG:今回Tokyo Gendaiで発表されるツリーハットやネストシリーズもいろいろな場所で展開されてますね?最初はどちらで発表されたのでしょうか?

川俣:Tree Hut は1999年にドイツ・ボンの美術館でのグループ展のために、美術館前に立てられた鉄のポールに「木の家(ツリーハット)」を制作したのが最初です。2007年にノルウェーのトロンドヘイムで町の中心にある教会前の樹木に11個の木の家を作りました。そこからそのリファレンスをもってパリのチュイルリー公園でやり、NYのマジソン・スクエア・パークでやったり、このシリーズが始まったらだだだっと続けてできた感じですね。それでNest というのもその間にできて10年ぐらい前から続けている感じです。そればかりやっているわけではないけれども結構やっていて・・・

僕は直接展示というのが結構好きで、やはりなにかの台座につけるとかではなく、そこに「在る」ものにつける、建物にくっつけるのと同じような意味合いで、木にくっつける、そういう活動ではあるんですけどね。

AFG:もう一つのNestシリーズはどういうふうになるのでしょうか。

川俣:縦に壁掛けかな、フジツボみたいな感じのものですね。

川俣正《Nest》シリーズ

AFG:両方のシリーズが巣だったり小屋だったり、都市の中にきゅっと挿入されて、もしかしたら、何かが住んでいるのかな?と不思議な感覚を見る人に与えるものですよね?昔からの関心事であったのですか?

川俣:他の国にいって、街の中である種の隙間みたいなもの、あるいはそういう意味で全然違うものが寄生する、ほんとにツバメの巣みたいなものですよね、街の中にそういったものをつくったり、鳥の巣というのは本当にオーガニックな形をしているし、作品が非常に象徴的に僕の中では街の中にあって、不思議だけどそれがあるだけで何か違うな、というのはありますよね。Tree Hutもそうなんだけれども木の上にある種のオブジェがあって、登れるような登れないような、人が住んでいるような住んでいないような、なんだかわからないけど誰かがつくったんだろうなぐらいの感じのもの、見る人がイマジネイティヴにいろいろ考えられるものとして作りたいなと思っています。大分前になりますが、NYでホームレスのシェルターみたいなものをつくったことがあって、それがあるとき木の上にのっかった、最初のきっかけはそういうものだったと思います。

「SFホームレスセンター」みたいなものをつくっていて、それを木の上にくっつけたっていうのが最初です。誰もが、僕が小さい頃にああいう隠れ家みたいなものをつくったんだろうというんですが、全然そういう幼児体験はなくて(笑)。ホームレスのシェルターをたまたま材料を代えて木の上にのっけた、それがなぜかツリーハットにみえるようになったという感じです。

それはそれでずっとやっている仕事だし、実は今もやっているプロジェクトがあるし、もちろんそれだけでないものもいろいろやっていますけどね。

AFG:今年、越後妻有ではオープンアトリエをやられると聞いていますが。

川俣:十日町市にある、旧清水小の2階の半分を今、アトリエ的に使わせてもらっています。ちょうどこの夏に1週間ぐらい時間があいたので公開制作というほどでもないけれども、とにかく場所があって時間があればやってもいいかなと思っています。基本的には夜仕事するので昼間はいるかわかりませんが(笑)

>>川俣正「オープンアトリエ イン 妻有アーカイブセンター」(大地の芸術祭公式HP)

川俣正《妻有アーカイブセンター》photo by Keizo Kioku

AFG:今後のご予定も教えてください。

川俣:1970年代にパリで日本の展覧会で《間》展というのがあったんですよ。建築家の磯崎新さんが企画して評判になった展覧会なんですが、その《間》展のシルクロード版というのが今年企画されていて、このグループ展がイランのタブリーズという街で、9月から始まります。(“MA”<Space/Time in Japan>in Tbriz,Iran:9/9-10/24) 僕はワークショップみたいなことをやるのですが、この展覧会が巡回するんですね。シルクロードに沿ってトルコ、アゼルバイジャン、最後は中国で、シルクロード沿いの街で展開していく。磯崎さんの遺言みたいなものです。中央アジアは初めてで、この間行ってきたんですけど、景色も全然違う、街も建物も全然違うイメージで、宗教が非常に強いんですけれども、そういうのもやってみて面白いと思って参加することにしました。また違う方向、違う街でやる企画になる感じですね。

三宅理一さんが監修されて磯崎さんが作られたコンセプトにのっとって、6人ぐらいのアーティストが参加するんですけれども僕と塩田千春さんと亡くなった篠田太郎さんの作品とか。日本の文化的なものとコンテンポラリーアートを一緒にしたような展覧会なんですね。音楽があったり演劇があったり。高山明君も演劇で参加するんですね。それで街なかにある住居を3か所ぐらい使って作家がいろいろつくり、ペルシャ時代の街と日本文化の関係性を延長していく感じです。

イランから始まるんですが面白いと言えば面白い。奈良の正倉院にペルシャのいろいろなものがあるということを含めて、いろいろな意味で繋がっているということがあって、イランの国からもそういう展覧会をしたいという働きかけがあったみたいです。そういうわけで文化交流がメインですけれども、僕は街の建築大学で学生と一緒にワークショップをしようということになっていて、4つぐらいの街を巡回することになっています。僕の場合は巡回先の街でインスタレーションしなくてはならないもので、その都度その場所にいかなければならないんです。今までとはちょっと違った展覧会、巡回のグループ展となると思います。要するに磯崎さんのコンセプトをメインに活かしていくことに意味があるわけで、なかなか面白いですが、やっぱりもともとコンテンポラリーアートと関係ない街でやるものですから、どこまでできるか。

AFG:最初がイランなんですね。

川俣:テヘランでもなにか考えているらしいのですが、北にいったタブリーズというバザールで有名な街ではすごいバザールがあるのでそういうところであえてやるということだと思うんですけれども。本当にシルクロードの古い道があったんですね、そういうところで何かできないかと模索しています。

未來へのアートアーカイブ

AFG: 川俣さんは妻有でもずっとアーカイブということを言い続けてこられましたね。

川俣: その地域でその都度「記録集」は出るんだけど、作家がどうやって動いたかというのはあまりよく見えないですよね。できあがりはみえるけど、僕ら作家にとってはできあがる前の仕事が大変なもので、交渉したりプランが変わったりとかそういう形跡の方がはるかにストーリー的には面白いわけです。もちろんできあがった作品を見に行っていろいろなことを思ったりする人がいていいけれど、つくる側からみたら絶対そういう記録って大きいし、今妻有にある模型だっていろいろなものがあるし、そういうものをちゃんと残しておきながら、展示もどこかでしなければいけないなと思ったんです。
まさに妻有はそういうことが必要なプロジェクトだと思います。

《中原佑介のコスモロジー》2012 大地の芸術祭 photo by Osamu Nakamura

川俣:何をどうみせるかという問題もあるけれど、まずはアーカイブするという、そういう意識ですね。今フランスでも、作家が亡くなると作品が飛散してしまう状況を問題視する動きがあります。

昔アンドレ・ブルトンという作家がいて、彼がやっていたこととかもっていたコレクションとか、山ほどあったんです。作家の死後家族はそれを保管できなくてオークションなどに出してしまい結局飛散してしまったんですね。それがフランスでももったいないということになって、その対策として、生前にアーティストと契約して、ある種の記録資料みたいなものを国がサポートする、保管する。フランスでは国が動き始めているんですよ。だから日本でも国がアーカイブをサポートするという発想もありますね。それは非常にまっとうな感じかなと思います。記録の本は出ていますが昔のものがどんどんなくなっていくという状況はあるし、作家がぽっくり亡くなってしまったら終わりというのではなく、その形跡がきちんと残されていくことをどこかでみなければいけないのではないでしょうか。その時代を示していくというのもあるし。そういう意味でドキュメントというのが必要だということはありますよね。 税金のことなども含めて国が真面目に取り組んでいるのは日本に比べてはるかに大きいですね。機会があればそのあたりのことはまたしゃべりますよ。

インフォメーション

■アートフェア「Tokyo Gendai」
会期:2023年7月6日(VIPプレビュー)、7日~9日
会場:パシフィコ横浜 アートフロントギャラリーブース「E06」

川俣正「オープンアトリエ イン 妻有アーカイブセンター」

公開日:8/14(月)、17(木)、18(金)、19(土)、20(日)、21(月)
時間:11:00~17:00
詳しくは大地の芸術祭公式HPをご覧ください。

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